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巡回路
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社会人になると、世間は、何かを買わせようとする者で一杯であることに気付く。
無論、消費がゼロだと経済が回らぬわけであるし、全部が全部悪い話でもないだろう。 とはいえ、しつこく何かを売ろうとする者の論調には正直なところついていけない。 何かを買わせようとする場合、まず、基本となるのは、商品の紹介である。 売りたい何かは、かくかくしかじかのスペックであり、これは、他社同等品とくらべてかような利点を備えており、それをこの値段で、というやつだ。 このレベルであれば、別に余も何とも思わぬ。 どのような物か知らねば、当然ながら買う買わぬ以前の問題であり、買ってもらうには、そうした情報を売りたい相手に知らせぬことには話にならぬ。 さて、このレベルで何か買わせようとする者が諦めてくれれば良いのだが、向こうも商売であるから、こんなものでは諦めてくれぬ。 曰く、だれそれも使っている、全米が泣いた、今若者に大人気、といった具合である。 大阪で絵売りに捕まった時など、「絵を飾ると空間が広がる」などという異次元の付加価値を提示されて、余は吹き出さぬようにするために、多大なる努力を必要とした。 そうした付加価値の効果も認めぬではないし、ものによっては、心が動く場合もあるが、まあ、往々にしてそうした付加価値というものは無意味である。 世間では、『アタックオブキラートマト』より、『世界の中心で愛を叫ぶ』の方が素晴らしい映画だと思われているかもしれぬが、余は、キラートマトの方を見たいのだし、余計な口出しは無粋というものであろう。 『世界の中心で愛を叫ぶ』でなく『キラーコンドーム』だったら喜んで見るかもしれぬが、余の是とするものは、あくまでも『アタックオブキラートマト』なのであって、『世界の中心で愛を叫ぶ』と『アタックオブキラートマト』の間には、10万光年分ぐらいの隔たりがあるというものであり、同じ映画というジャンルで比較する事さえ難しいのではないかと思う。 もっとわかりやすく言えば、欲しいものは欲しいものであるが、要らないものはウンコである。 スカトロ趣味の者は、激昂するかもしれぬが、普通はウンコを欲しいと思うものはおらぬ。 ウンコが実は、どれだけ素晴らしいものか説明するのは結構なことだが、「ウンコはウンコなので要らない」と断られた後にウンコの付加価値をどれだけ語られたところで、ウンコなど要らぬわけである。 まあ、ようするに何が言いたいかというと、自らの欲するところを知り、ブレないことが、何かを買わせようとする人への対応を誤らない秘訣だということである。 とはいえ、人間は迷いやすいものであり、どうしても要らないものを買ってしまう、買わされてしまうという者もあるかもしれぬ。 実は、ここだけの話だが、余はこのような精神論レベルの話ではなく、高度に様式化された要らないものを買わされないで済むメソッドを先日構築した。 それをたったの5万円で伝授するので、必要な者は連絡して欲しい。 SPQEにより承認されなかったが独裁官権限により強行採決 書記:総統
by soutou_d
| 2008-02-14 19:14
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