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巡回路
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余は、自分で遊んだゲームのレビューしか書かぬため、余の最近のゲーム関連のエントリーはXBOX360のソフトのことばかりである。
かような有様を見て、「彼奴はゲイツ信者だ」「マイクロソフトの犬だ」と友人知人は言うのであるが、これは誤りである。 まずもって、余は、次世代ゲーム機なる言葉には興味がないし、その売り上げ状況になどもっと興味がない。 PS3の方が画像が綺麗だとか、360の方がなめらかだとか、そんなことにもぜんぜん興味がない。 そもそも、余としては「どれを買うのか?」という質問は無意味だと考えておる。 もしそのような質問が誰かから投げかけられたとすれば、余はかように答えるであろう。 「必要なら全部買う」 小学生の時分より、趣味に使える時間の大半をゲームに費やしてきた者としては、ゲームの良し悪しはハードの性能ではないことは述べるまでもないことである。 綺麗なグラフィックだとか、素晴らしいサウンドだとか、新しいインターフェイスだとか、そんなものは二次的要素であり、もっとも重んずるべきは、ゲームが面白いかどうかである。 従って、家庭用ゲーム機における、ハード本体は、畢竟、邪魔な箱に過ぎない。 この邪魔な箱が、面白いゲームソフトで遊ぶために必要であるから、仕方なく部屋に置いてあるだけのことである。 大きかろうが小さかろうが、白かろうが黒かろうが、五月蝿かろうが静かだろうが、そんなようなことは全く関係ないのである。 PS3やWiiのゲームを余がやっておらぬのは、単に、まだやりたいゲームがないので買っていないというだけのことなのである。 このような単純な理屈もわからぬ愚かな者共は、2chのゲーハー板に集って、妊娠だゲートキーパーだと日夜騒いでおるようであるが、余に言わせれば、ゲームのゲの字もわからぬ阿呆だと言わざるをえない。 まあ、ゲーハー板の伝統芸能でもあるので、本気で言い争っておるものは見た目ほどはおらぬかとは思うが。 このような自説を披露すると、「じゃあ面白いゲームとは何なのだ」と思う者もあるかと思う。 余の言う面白いゲームは、結局のところ、余が面白いと思うゲームに他ならず、他に何も基準は存在せぬ。 ファミ通のレビューが何点だろうが、有名サイトが褒めようがけなそうが、友人がやってようがなんだろうが、余が面白いと思わなければ面白いゲームではない。 そんなものは一方的だと思うかも知れぬが、他人が薦めるからといって面白いとも思わんゲームに時間を使っていられるほど、人生は長くないのである。 であるからして、余がゲイツ信者であるというのは誤りである。 余は信者ではない。 どちらかと言えば、教祖である。 あまねく全ての人々が、余が面白いと思ったゲームを面白いと感じるならば、それは比較的ハッピーなことだと思っておるからである。 それに、もし、なにかの間違いで、余のレビューの影響力が何万本単位で売り上げに反映されるようなことになれば、余は何かとウハウハである。クタやゲイツが「ぜひ、先生にレビューを書いていただきたく、新作ソフトをお持ちしました」と、上げ底の菓子折りとゲームソフトを持って挨拶に来ぬとも限らぬではないか。 無論、これは単なる妄想であるが、信者であれば、そうしたハッピーな未来は絶対に来ない。面白くもないゲームでも、面白いと書こうとするからである。 信者と呼ばれる者がゲームを薦めるときの言説は、「俺も持ってるからお前も買え」のレベルを越えるものではない。 プロの文筆業者だというのでもなければ、面白いとも思わなかったゲームを、いかにも面白いように書くのは不可能だからである。面白いゲームを面白かったと書くのでさえ一苦労だということさえわかっていないかのようである。 だいたい、アクションからRPGからシミュレーションまで、あらゆるジャンルのゲームが好きで面白いと思う者がこの世にいるであろうか。 XXのハードのゲームだから褒める式の言説では、無理が生じすぎて意味不明になるのが関の山である。 そういう意味で、ファミ通のレビューというのは一切信用できない。 レビュアーの好みが、点数に影響した様子が感じられないからである。 このように、余は何かの信者ではなく、余が面白いと思ったもののみを信じている教祖である。 そういうわけなので、今日も、はやいとこ仮の仕事を片付けてモンスターハンターポータブル2ndで第一次産業の限りを尽くしたいと思っておるのだが、この期末の忙しさの中、急ぐあまりにいい加減な仕事をすると、会社を追われてゲームを買う金もなくなってしまうわけであり、人生何事もバランスが大事だ、という無難な結論で終わりたいと思う次第。 SPQEにより承認 書記:総統
by soutou_d
| 2007-03-23 16:51
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