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巡回路
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ハヤカワ文庫から出ておる小説である。
あとがきによれば、エコ・サスペンスというジャンルらしい。 デッドライジングのゾンビパラダイスアクションの時にジャンルなど言ったもの勝ちだというような事を書いたかと思うが、小説であっても同じようなもののようだ。 なんだよ、エコ・サスペンスって。 あらすじを大変簡単にまとめると、なんか突然、人がクジラに襲われたり、ロブスターが毒入りになってたり、メタンハイドレートをでっかいゴカイが崩して北欧が大津波で大変になったりして、奴らは深海に潜んでいるんだ! ギャガーン! という話である。 非常に簡略化して書いたが、上中下巻を要する話なので、そこに至るまでは色々と複雑な展開があることは、一応、念のため明言しておく。 取材に4年もかけただけあって、色々と起きる大事件にも、もっともらしい説明がついていて「こんなのありえねーだろ」とはならず、人類がどんどん危機に向かっている感が盛り上がっていくため、少々長い小説ではあるが、余は一気に読み進めてしまった。 実にコストパフォーマンスの悪いことである。(ただ、余は元々速読乱読なので何回も読む) さて、全般的に、よろしい印象の今作であるが、唯一文句をつけるとすれば、そのオチである。 映画であれば「衝撃のラスト!」みたいなのをつける(実際、映画化されるらしい)かとは思うが、残念ながら、欧米人には衝撃のラストかもしれぬが、日本人である余にとってはさほど衝撃ではない。 むしろ、我々が、日ごろからかくあるべきだと思っておる結論に到達し、その結果、世界は大きく変わると書いてあるのだが、余にはその理屈については納得できない。 多分、キリスト教が根付いている国の人であれば、衝撃のラストに驚かされている間に、大きく変わる世界についての記述のアラを見逃すのかもしれぬが、余はそんなに驚きもしなかったので、ちょっと無理あるんじゃねえの、と考える余裕があった。 そのへんが文化の差というものであろう。 ところで、この作品は映画化されるそうだが、余は、まったく期待できないと思っておる。 どう考えても尺は足らぬのでただのモンスターパニックものになってしまいそうだし、アメリカに対して辛辣であるため、映画化の際に大幅な方向転換がされる可能性が高い。 後者は監督が賢明ならば避けられるが、前者の解決には監督が、ただ賢明であるだけでなく、最低限天才である必要がある。 まあ、小説としては割とよい出来であるので、通勤通学時にヒマをもてあましておるなら買ってみてよいと思うが、あとがきの人は、エコ・サスペンスという紹介を考え直すべきである。 SPQEにより承認 書記:総統
余は陰謀論が大好きであり、以前から、何もかも政治的陰謀であると言い続けてきた(そういえば最近は言っておらんな)わけであるが、このような胡散臭いタイトルの本に金を出すほどには好きではない。
というのも、何がつまらないかといって陰謀論の本ほどつまらぬものはないからである。 それは、一部の優れた書き手を除いては、陰謀論者というものは他人に共感を得る能力が低いからではないかと思っておる。神聖モテモテ王国のファーザーぐらいのいいキャラであれば、書いてあることはあまり問題にならぬかもしれぬが。 それはさておき、このタイトルを書店で見た時、余は、大方冷戦時代の軍拡競争でやってみた実験でも取り上げて大げさに書いてるのだろうと思ったのであるが、立ち読みしてみるとどうも違うようである。 余は、書店における鉄の掟として、本を立ち読みして、3分以上読み続けたら負けを認めて購入することにしておる。 というのも、余はどうやら本を読む速度が速いようであり、よく見るライトノベルぐらいの厚さの文庫本であれば、10分弱で読み終わってしまうからである。 流石に、3割以上読んで「やっぱいらね」というのは、人としてどうかと思うのであり、あたかも全部食ってから髪の毛が入っていたと主張しだす飲食店のクレーマーのようである。 そういうわけで、この胡散臭い本を買ってみたわけであるが、これがなかなかよい。 しかも、メインとして扱っておるのは、冷戦時代の変な実験ではなく、ブランチ・ディヴィディアンやイラク戦争のことなのである。 無論、筆者がインタビューした人々は実に胡散臭い。 ヤギを念力で殺したとされる人物は、「妻が許可しないから」と筆者にその超能力を見せることはないし、地球第一大隊を米軍に提案したと主張する退役陸軍中佐は、ヒッピーの生き残りみたいな奴であり、ちょっと前に、超能力探偵として日本のテレビにも出ていたマクモニーグルなども登場する。 まあ、はっきり言って、彼らのインタビューの内容が信用に値するかどうかと言えば、余は正直に怪しいと言わざるをえない。 しかし、この本を読み進めると、センセーショナルな透視能力や、念力以外の部分では、どうやらこの胡散臭い奴ら意見が、米軍に取り入れられているのではないかという気になってくる。 人権人権と五月蝿くなってきた昨今、殺人を主たる任務とする軍隊が、「敵を殺せないのなら、敵に意見を変えさせればいい」という、パンがなければケーキをお食べ的な考えを実現しようとするのも無理からぬ話である。 いずれにせよ、この本の主張する「アメリカ超能力部隊」が実在した(している)かどうかは、実際のところ定かではない。 繰り返しになるが、インタビューした相手が、いささかエキセントリック過ぎたり、ユリ・ゲラーだったりするからである。 それでも、なお、「米軍は敵の肉体ではなく、敵の精神に作用する兵器の開発に力を入れている」という主張は、なにかと騒がしい昨今、妙な現実味を帯びておるのである。 見知らぬ外人に、普通の音量で普通の音楽を聴かされたら、少し警戒した方がよいかもしれぬな。 そういう意味では、ハリウッド映画などを見るのはもってのほかということになりそうなので、とりあえずダイハード4.0を見た後に、その件については検討したい。 SPQEにより承認 書記:総統
ゲームのノベライズは難しい。
まして、MO(Multiplayer Online)ゲームでは尚更だ。 基本的に、MOゲームには、決まったストーリーが存在しない。モンスターハンターも、端的に言えば、ハンターとなって、日々狩猟をして金を稼ぎ装備を充実させていくゲームである。 一応のエンディングは用意されているものの、それは、そこまで到達すればそれで終わりというものではなく、むしろ、実質的には初心者脱出記念ぐらいの意味しかない。 そんなようなわけで、ゲーム経験者であればあるほど、小説のあらゆる場面で違和感を覚える事になりかねない。 さて、小説の方であるが、作家が悪いのではないのだろうだが、やはり、経験者である余には違和感がぬぐえぬ感じであった。 とりあえず、余とモンスターハンターのかかわりを簡単に解説しておく。 一作目となるモンスターハンターにおいてはハンマー使いとして終始ぐるぐる回転し続ける生活をしばらくやり、なんだか飽きたので引退した。 二作目であるモンスターハンターGでは、他メンバーと、多少の開始時期の差があったため、思い切ってガンナーに転向し、ヘビィボウガン使いとして撃ちまくる生活を送った。 今現在は、モンスターハンターポータブルをやっておるが、これは環境の問題と、固定メンバーにPSPユーザーが少ないということもあって完全にソロである。 ノベライズの元となっているのは、モンスターハンターGである。 主人公の大剣使いが、仲間が毒食らったぐらいでドラゴン退治を中止するリーダーに愛想をつかして街を出て、自分でパーティ組んだら……というような話である。まあ、タイトルにあるようにリーダーの資質がどうたらこうたら、悩んだりするような感じだと思えばよろしい。 構成要素としては、大剣使いの生意気な若造の主人公、ランス使いの執事風ジジイ、ハンマーを使う高貴な生まれっぽいツンデレリーダー、何考えてんだがよくわからないヘビィボウガン使い、サムライ双剣使い、ヘタレ片手剣使い、メガネメイドライトボウガン使いである。 まあ、流行りのあたりをおさえておるわけであるな。 とはいえ、余としては、ものすごい勢いで狩猟採集生活をするのがモンスターハンターだと思っておるわけであり、残念ながら、そうした感じの必死さは感じられなかった。とりあえず、ハンターたるもの一度ぐらいは、「逆鱗出ねえ!」とか「紅玉出ねえ!」とか叫ぶべきではないのか。 あと、ギャグ色を排除したかったとはいえ、ゴブリン(モンスターハンター世界においては猫型の獣人である)を出さなかったのはよくない了見である。 まあ、ようするに、ゲームのノベライズは、それこそ漸修で悟入するぐらい難しいということである。 SPQEにより承認 書記:総統
http://www.bk1.co.jp/product/530310/p-sf0023
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167275651/trpgnet0e-22 リチャード・バックマン(実はスティーブン・キング)の作品である。 デブの弁護士が、ジプシーの婆さんを轢き殺してしまうが、担当判事と警察署長を抱き込んで、うまいこと罪を逃れて万々歳だったが、呪いをかけられて痩せるという話である。 まあ、痩せるだけならめでたい話であるが、ほとんど骨と皮みたいになって最終的には死ぬのだから、さしてめでたくもない。 余も、スリムとは言い難い体格なので、このような話を読むことによって、体重を減らすきっかけになれば、と思わなくもなかったが、この作品を読む限り体重を減らそうという気にはならぬようだ。 余がこれを読んでまず考えたことと言えば、 第一に、ジプシーの爺さんを間合いに入れないこと。 第二に、うっかり呪いにかかった時のために、体重は多めにしておくこと。 第三に、現実主義のマフィアの友達を作っておくこと。 第四に、うっかり、仕上げに失敗してもヤケクソにならないこと。 であり、これさえ守れば、ジプシーの爺さんなど恐るるに足らずである。 とはいえ、これからの人生でジプシーの爺さんに呪いをかけられるというような事態に遭遇する可能性は、雷に打たれるよりも低いのであろうが。 この話の見所は、やはり、ジプシーの爺さんの呪いに対抗して、主人公のデブ弁護士が白人の呪いをかけるところであろう。 白人の呪いは、より実効的で科学的なので、余も金持ちになったらやってみようと思う。 この作品の主題は、いわゆる、因果応報というやつである。 その一方で、受ける報いは必ずしも本人の罪科に見合ったものではない、ともしている。 主人公は、ジプシーの婆さんを轢いて、呪いを受ける。 しかし、それはジプシーの爺さんが、呪ってやろうと決断したきっかけではあるが、白人一般に対する恨みつらみの結果でもあり、余分な恨みまでまとめて背負い込まされた面が間違いなくある。 その意味で、『白人の呪い』をかけ返した主人公の、「なんで俺ばっかり」という身勝手な自己弁護にも一理あると言えよう。 世紀の嵐というキングの別の作品でも、因果応報はテーマになっている。 ただし、その作品ではさらに過激化していて、もはやとばっちりとしか思えない状況で、主人公は誰か因果の報いをうける事になる。 最後に、主人公の弁護士は、ヘマをして結局破滅する。 いや、むしろ、ジプシーの爺さんが呪いと解くと言った時から、既定路線だったのかもしれない。 嫌なラストであるが、本当の意味で嫌なのは、こうした呪いが、我々の身に降りかかる危険は十二分にあるということである。 結局のところ、生きている以上、本当に貸し借り無しの状態にはなれないのである。 満員電車から下車する時、誰かの足を踏まなかったか、本屋で立ち読みして結局買わずに店を出た時、店主は不満に思わなかったか、友人と談笑しながら道を歩いていた時、その喋り方が通行人の1人の癇に障らなかったと誰が保証できるだろう。 つまるところ、余のように、ジプシーの爺さん対策を真面目に検討しているよりは、厚切りベーコンと目玉焼きをたっぷり食ってた方が幸せだということである。 ダイエットには不向きな一冊である。 SPQEにより承認 書記:総統
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