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思い起こせば、ボリス・ニコラーエヴィチ・エリツィンほど、酒飲みとして世界に名を馳せた人物もいなかった。
まだソヴィエト連邦時代の議員だったころ、泥酔した挙句に川へ転落し、危うく命を落としかけるなどという微笑ましいエピソードを残しつつも、ソヴィエト共産党中央委員会書記にまでのぼりつめるという、酒飲みでありながら出来る男であったことは、世界中の多くの酒飲み達をどれほど勇気付けたかわからぬほどである。 さらに、ブレジネフ派との確執から党の役職を追われると、果断にも共産党を離党するや、モスクワ人民代議員選挙に当選して政界へ復帰し、民主綱領派のリーダーとして、翌年にはロシア共和国の最高会議議長に就任するという類稀な行動力は、その裏にどれほどの酒の勢いがあったのかと、多くの酒飲みを唸らせた。 ソヴィエト連邦8月クーデターに際しては、「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」と断固たる声明を発表。 その後、自ら出向いてクーデター派の戦車兵を説得し、また、旗を振って民衆に直接呼びかけるなどの果敢な行動がモスクワ市民の心を打ち、市民はロシア共和国最高会議ビルの周囲にバリケードを構築するなどして、その呼びかけに応えた。 やがて、国民の支持も得られず、また、軍の掌握にも失敗したクーデターは失敗に終わり、首謀者達は逮捕されたが、その中心人物であるヤナーエフ副大統領は、次第に悪くなっていく情勢を悲観して、酒びたりになり、泥酔して執務不能になっていたことがわかる。 酒は飲んでも飲まれなかったエリツィン氏が、すっかり飲まれていたヤナーエフを不利な状況を覆して破ったという事実は、エリツィン氏の酒飲みとしての器の違いというものを全世界にまざまざと見せつけたのである。 大統領就任以降、エリツィン氏の政策は手放しで褒められるものではない。 今日まで火種を残すことになったチェチェン侵攻や、なりふり構わず自身の権力に固執するかのような行動など、多くの問題もあった。 この時期から、エリツィン氏は酔っ払いなどと呼ばれるようになる。 エリツィン氏ほどの酒飲みであっても、やはり、持病の悪化や、加齢による肉体の衰えにより、酒に弱くなってしまうのは不可避であったということであろうか。 あるいは、世界の冠たる偉大なる酒飲みとして、飲みすぎることの恐ろしさを、身をもって世界の酒飲みたちに示してみせたのではないか、と考えるのはうがち過ぎというものであろうか。 健康問題を理由に、現在のプーチン大統領にその地位を譲れば、「あの酔っ払い、とうとう飲みすぎて外にも出られなくなったのだ」と陰口を叩かれるのを知りながら勇退を決意した際の決意はいかばかりであったろうか。 あくまでも酒飲みとして、酒飲みが滅びるのは酒がゆえであるという酒飲みの美学に殉じるその悲壮なまでの決意は、他の誰が知らずとも、余が知っている。 氏の思い出は尽きぬが、酒飲みの1人として、余は、大いなる酒飲みボリス・ニコラーエヴィチ・エリツィン氏の逝去に、心からの哀悼の意を表すものである。 願わくば、エリツィン氏が、肉体という枷から解き放たれ、心臓病も肝臓疾患もアル中もない天国で、好きなだけウォッカを楽しまれんことを。 SPQEにより承認 書記:総統
by soutou_d
| 2007-04-24 14:58
| 時事、政治
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