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制圧作戦で2千人死亡 ザルカウィ組織幹部拘束
ファルージャでは2000人死んだが、余はまだ死にたくないので、米と肉を控え、晩飯は軽く済ませる事にした。まあ、余も27であるから、そろそろ、とにかく沢山食える方がいいという考えを改めていくのが自然な流れというものだ。 余の食事傾向はさておき、イラクである。 平和の達成の為には、治安の回復が肝要である。 なぜならば、治安こそ、国家が国家として成立するためにもっとも重要な要素のひとつだからである。 国家の内包する個人や小規模の団体は、感情の振幅に大きく左右されてしまう。 例えば、当協会を例に考えてみよう。 当協会は脳内共和制にて運営される団体であるが、なにぶん、余が終身独裁官である為、実質、何もかも余の言うとおりになるのである。これは、別に当協会が特別なのではなく、大抵の小規模団体は、声が大きくてずうずうしい奴の言うことが通るものなのだ。 さて、当協会は、当サイトを更新する他の活動はしておらぬが、ここで余個人の身に何か米帝のすることによってとんでもない不都合が生じてしまい、余は米帝打倒を目指し、テロ活動をすることにしたとする。 当然、余は頭に血が上っておるから、一般市民を巻き込むのも屁とも思わぬし、人質をとって見せしめの為に殺すのもへいちゃらである。交渉などに応じるわけもない。 とはいえ、余はバイオレンスな事が得意ではないので、いずれ捕まって、「かっとなってやった。アメリカ人なら誰でもよかった。今は反省している。」と言わねばならない。 これまで、個人や小規模の団体は、その規模に比例した力しか持たなかった。何十億、何億分の一の、情報収集能力と影響力だ。余がファビョってアメリカ人を殺そうと思ったところで、一人ナイフで刺し殺してそれでおしまいである。 しかし、現代はそうではない。 まず、個人であっても世界に対して情報発信が可能である。 そして、911のテロ以来厳しくなったとはいえ、個人だけで大規模な被害の出る事件を起こすことも、また、可能なのである。 余はまだ作ったことが無いが、おそらくその気になれば爆弾を作れる。爆弾の周りにパチンコ玉でも詰めておけば、殺傷力が飛躍的に向上するであろうことも知識としては知っておる。アメリカで爆弾を爆発させて10人かそこら殺し、声明をインターネットで発表すれば、まともにやれば余一人では起こしえないはずのインパクトが生じることになるのだ。 あとはやるかやらぬかの問題であるな。 だが、国家なら、まだ話が通じる。 『余個人の身に何か米帝のすることによってとんでもない不都合』が生じていたとしても、国家にとっては、せいぜい一票の価値しか無いからであり、そして、国益を中心に考える義務があるからだ。余がなんと思っていようと、いや、それが国民の大半の意志であったとしても、国益に適う道を選ぶであろう。勿論、結果、戦争という選択もあるのであるが。 ゆえにこそ、戦争という最大限の暴力を行使する権利は、どんなに優秀で正しかったとしても個人でも、団体でもなく、国家にのみ与えられておるのだ。 しかし、それも、治安があってこそだ。治安が適切でないというなら、その国家の統治能力が国の隅々まで届いていてこそと言い換えてもいい。 怒り狂った余が、武装勢力を組織して、テロを繰り返せるようでは駄目なのである。これらの無法者を取り締まれる能力が求められる。 イラクの一般市民を殺して何が平和だ、という感情は人間として当然であるが、今後イラクが無法地帯となってテロの温床と化すのがいいか、国家としての体裁を整えてなんとかまともにやっていくのがいいかとなれば、当然後者であろう。 平和は美しい理念や、祈りや、自己犠牲の精神があれば、どこからともなくわいてくるものではなく、関係者同士が押したり引いたりしながら引き出した妥協の産物であることを忘れるべきではないのである。 関係者ならぬ余は、酒飲んでクダを巻くのが関の山といったところか。 SPQEにより承認 書記:総統
by soutou_d
| 2004-11-26 13:24
| 時事、政治
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